佐賀地方裁判所 昭和50年(ワ)208号 判決 1982年5月14日
原告
逆瀬川絵美
右法定代理人親権者父・原告
逆瀬川利信
同母・原告
逆瀬川美智子
右三名訴訟代理人
国府敏男
同
山田敦生
被告
林暁生
右訴訟代理人
安永澤太
同
安永宏
主文
一 被告は、原告逆瀬川絵美に対し金八二二万円及び内金七五二万円に対する昭和四七年一二月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告逆瀬川利信及び原告逆瀬川美智子に対し各金一六五万円宛及び各内金一五〇万円宛に対する昭和四七年一二月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
二 原告逆瀬川絵美の被告に対するその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告逆瀬川絵美に対し金八四二万円及び内金七六六万円に対する昭和四七年一二月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告逆瀬川利信及び原告逆瀬川美智子に対し各金一六五万円宛及び各内金一五〇万円宛に対する昭和四七年一二月六日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。<以下、事実省略>
理由
一当事者及び診療契約
1 当事者間に争いない事実
請求原因1(当事者)及び同2(一)(診療契約)の事実は当事者間に争いがない。
2 被告の経歴
被告本人尋問(第一回)の結果によれば、被告は、昭和三六年三月に国立長崎大学医学部を卒業後、同三七年の医師国家試験に合格し、同年四月長崎大学大学院進学、同四一年同大学院を卒業し、同年四月から六月まで長崎原爆病院に勤務し、同年六月より佐世保市民病院(現在の佐世保総合)の臨床検査科医長として赴任、その後産婦人科医長を兼任し、同四五年一一月まで同病院に勤務した後、同四六年一月に被告肩書住所地において産婦人科を標傍する被告医院を開業し現在に至つており、佐世保市民病院在職中に交換輸血を三七例自ら手がけていたことが認められる。
二核黄疸について
1 はじめに
被告医院で昭和四七年一一月二八日出生した原告絵美が、同年一二月五日転院先の佐世保総合で交換輸血の手術を受けたものの核黄疸に起因するアテトーゼ型脳性麻痺の後遺症を残していることは当事者間に争いがない。本件訴訟の争点は、右交換輸血の適期を失した点につき被告に帰責事由が存するか否かに帰する(詳細は後記四1参照)。そこで、その判断をするに必要な限度で、先ず核黄疸について、その概略を考察することとする。
2 核黄疸の概略
当事者間に争いない事実に、<証拠>、イクテロメーターの検証の結果を総合すると次の事実が認められる。
(一) 生理的黄疸と新生児重症黄疸(核黄疸)
新生児(およそ生後一〜二週間の期間の児)においてはその八〇ないし九〇%に多少とも肉眼的に認められる黄疸(可視的黄疸)が発生するが、その大部分は生理的なもので治療の対象とならない所謂生理的黄疸である。(成人ではビ値が二以上となれば黄疸と定義される。この基準に従えば新生児は殆どすべて黄疸を示すことになり、事実これは生理的新生児黄疸なる名称の存在によつても示されているところである。)しかしこれとは別に、死亡または脳性麻痺の原因となりうる病的な重症のものを新生児重症黄疸と総称し、臨床的には核黄疸という。従つて、新生児に黄疸を認めた場合にはそれが病的なものであるか、放置しても差支えない生理的なものかを区別することが最も大切である。
(二) 核黄疸の発生機序
黄疸の発現色素であるビリルビンは、赤血球の崩壊によつて遊離されたヘモグロビンが網状内皮細胞によつて分離されて生ずるものであるが、産生直後のビリルビンは非抱合型ビリルビン(間接ビリルビン)の形で血液中に存在し、それは脂溶性、非水溶性であるため、そのままでは体外への排泄は不可能であり、排泄のためには主として肝におけるグルクロン酸との抱合体となることによつて水溶性の抱合型ビリルビン(直接ビリルビン)となることが必要であるが、新生児においては一般にこのような肝のグルクロン酸抱合機能が未熟なためにビリルビンの排泄が不充分であり、軽度の赤血球崩壊によつても黄疸が発生しやすく、また赤血球の崩壊度あるいはその後のビリルビン排泄に至るまでの機序に何等かの異常があると容易に重症黄疸となる。またその際間接ビリルビンの血管外漏出を防止するうえに重要な意義を有する血清蛋白も新生児ではその濃度が低いため、容易に血管外漏出をきたし核黄疸発生に傾きやすい。そして、血中に増量した間接ビリルビン(高ビリルビン血症)が血液間関門を通過して脳組織、特に大脳基底核、視床下部、脳幹部などの神経核に沈着することによつて核黄疸が発生する。
(三) 核黄疸の原因もしくは基礎疾患
間接ビリルビンの異常蓄積(高ビリルビン血症)をきたす原因としては新生児溶血性疾患(Rh式血液型不適合、ABO式血液型不適合など)、母乳黄疸、閉鎖性出血、先天性溶血性貧血、体質性高間接ビリルビン血症等が認められているが、実際上これらの鑑別診断は容易でなく、血液型不適合がないのに原因確定不能のビ値が高いもの(成熟児では概ね一五以上のもの)を特発性高ビリルビン血症と称し、その頻度が高いといわれている。
(四) 血液型不適合による新生児溶血性疾患
血液型不適合による新生児溶血性疾患は、母児間の血液型不適合のため児の抗原抗体反応による溶血がおこり、生後早くから強い黄痕を呈する疾患で、母体がRh因子(−)で児が(+)のときに現われ得るRh式血液型不適合によるものと、ABO式血液型の母児間の組合わせの不一致(母児間ABO式血液型不適合組合せは別紙(3)記載の表のとおりである。)によるものとがあり、ABO式血液型不適合による新生児溶血性疾患はほとんど大部分が母O型の場合に発生するとされているが(その頻度は半数以上とも、九〇%以上ともいわれている。)、ABO式血液型不適合組合わせのある妊娠(全妊娠の約四分の一に存在する)で実際に溶血性疾患を生じて重症な黄疸をきたす頻度はそのうちの一ないし二%で、軽症例がほとんどであり、分娩前からABO式血液型不適合について妊婦を心配させる必要はなく、特にO型の妊婦は注意すべきだなどという保健指導は適切でないとさえいわれている。
(五) 早発黄疸発生と時間の関係
血液型不適合による新生児溶血性疾患の場合は早発黄疸を認めることが少なくない。
右の早発黄疸の発生時間に関し、別紙(4)文献目録記載の文献(以下文献番号を付して特定する。)等の記載はほぼ以下のとおりである。
(1) 文献番号①四八八頁
早発黄疸(生後二四時間以内に出現)
(2) 文献番号②三九九〜四〇〇頁
もし生後一〜二日で黄疸があらわれた(中略)ならば、医師は、黄疸の程度を、肉眼で観察したり、イクテロメーターという器械で測定したり、あるいは、新生児の血液中のビリルビン値を測定したりし、その結果によつて、必要があれば交換輸血を行ないます。
(3) 文献番号③六九頁
強さは高度でなくとも生後三六時間(特に二四時間)以内に黄疸が現われたときは放つておけない(黄疸のある新生児をみたときはその児が何日の何時に生れたかをチェックするくせを平素からつけておくとよい)。すぐ新生児溶血性疾患を疑うべきで、交換輸血が必要かもしれないのでただちに報告する。
(4) 文献番号⑤八八頁
出生後二四時間以内に発生する黄疸は如何なるものといえども“生理的”の名称をつけることはできない。
(5) 文献番号⑧四八五頁
病的黄疸として注意しなければならないものは、第一に早発黄疸、すなわち生後二四時間以内に発現した黄疸である。このような早発黄疸は、Rh式もしくはABO式血液型の母子不適合に基づく、新生児溶血性疾患の最初の症状であることが多い。
(6) 文献番号⑨六七頁
成熟児において、生後二〜三日で黄疸が出現するのがふつうだが、生後二四時間以内に認められる早発黄疸は血液不適合による溶血性疾患によるものがほとんどで、放置すると核黄疸を引き起こす可能性が強く、注意を要する。
(7) 文献番号⑩一三九頁
生後二四時間以内に発現した黄疸(新生児溶血性疾患の疑い)
(8) 文献番号⑪二頁
出生直後から生後三六時間ごろまでの間の新生児に黄疸が現われたときは、早発黄疸といい、溶血性疾患の疑いが強いので厳戒しなければならない。
(9) 文献番号⑫九二〜九三頁
一般に生後二四時間以内に可視黄疸が出現する早発黄疸は、ほとんどが溶血性疾患であり、(中略)。原因疾患としては、(中略)日常しばしば遭遇し診断治療上重要なのは、(中略)Rh、ABO型不適合性溶血性疾患である。(以上九二頁)
ABO型不適合溶血性疾患(による(中略))黄疸の出現は生後三六時間以内で、Rh型不適合に比べ、やや遅れて出現し、黄疸の強さも比較的軽度で貧血もなく、臨床症状も黄疸以外はほとんど認められないことが多いが、まれにはRh型不適合と同様の重症型を呈することがあるのが問題で、実際に成熟児で交換輸血を必要とするような高ビ血症の半数以上はABO型不適合の組合せをもつ。(以上九三頁)
(10) 鑑定人馬場一雄の鑑定結果によれば、「ABO式血液型の母子不適合にもとずく新生児溶血性疾患の臨床所見の中で比較的特徴的なものは早発黄疸である。(中略)ABO溶血性疾患では、生後二四時間以内の早期に黄疸を認めることが少くないとされている。」という。
(六) 生理的黄疸の定義(その発現と時間の関係を含めて)
早発黄疸発現と時間の関係は右(五)で述べたとおりであるが、これとの比較上、生理的黄疸の定義をその発現と時間の関係を含めて文献等で調べてみるのも有益である。
(1) 文献番号⑨六七頁
成熟児において、生後二〜三日で黄疸が出現するのがふつうだが、(中略)生後三〜五日頃の黄疸はいわゆる生理的黄疸が多く、問題のない場合がほとんどである。
(2) 文献番号⑫九二頁
新生児の九〇%は生後一週以内に二以上のビ値を示し、成熟新生児の平均最高値は一般に生後二〜四日で、およそビ値六に達し、(中略)生理的黄疸とは生後一週以内でビ値が成熟未熟児では一二(中略)を越えないものと定義され、これらの値を越えるビ値はその他の因子の存在を示唆するもので、原因を調べなければならない。
(3) 文献番号⑪六頁
早発性でなく生後三日ごろから徐々に増強する黄疸でも、やがてある程度以上に著明になつてきたら(中略)検査や処置を行なう必要がある。
鑑定人馬場一雄の鑑定結果によれば、「通常の生理的新生児黄疸(特発性高ビリルビン血症)では皮膚や粘膜の黄染は、日齢二―四日に気付かれることが多い」という。
(七) 核黄疸の臨床症状(プラーの分類)
プラーは核黄疸の臨床症状を次の四期に分類しており、最も権威あるものとして一般に承認されている。
第一期――筋緊張の低下、嗜眠、哺乳力減退
第二期――筋強直、後弓反張、発熱
第三期――筋強直の減退
第四期――錐体外路症状の出現
このうち、第四期は核黄疸による直接死亡を免れた場合の後遺症状であつて、慢性期症状と称すべきものであり、第一ないし第三期が急性期症状である。第二期症状出現以後においては脳の病変は不可逆性となつており、たとえ交換輸血によつて幸いに救命しえても、恒久的な脳障害による後遺症(詳細は次の(八)で述べる。)を残す可能性が強く、従つて、第一期症状(但し非特異的な症状である。)出現時にビ値測定などをなし、交換輸血を行うことが児の予後を左右する重要なポイントとなるとされている。なお、プラーの文献には触れていないが、核黄疸の等二期症状として落陽現象(眼裂を大きく開いたままで眼球が動かずにじつと一点をみつめているような状態において、眼球が下方へ転位した状態をいう。)を示すことが一般に知られている。
(八) 核黄疸の後遺症
これとしては主にアラトーゼ様運動、上方視麻痺、聴力障害、乳歯の異常の四主徴があげられ、他に知能障害が生じることもある。(アテトーゼとは、主として手の指または足の指に出現する緩慢な一種独特の異常運動で、捻転、屈曲、伸展など様々の運動を見るもので、筋緊張は絶えず変化している。重症にあつては四肢のみならず、躯幹、顔面、頸筋にも波及する。症候性アテトーゼとして脳性小児麻痺に見られる。――南山堂「医学大辞典」第一四版一八頁より)
(九) 核黄疸の予防法(交換輸血について)
核黄疸の治療法は後遺障害に対するリハビリテーションが主体になつていることから、核黄疸に対する処置は予防法でなければならないとされており、その予防法としてはACTH筋注・フェノバール筋注等によつてビリルビンの上昇を抑える方法(薬物療法)、光線療法によつてビリルビンを分解する方法もあるが、交換輸血によつてビリルビンを体外に除去する交換輸血こそが、原告絵美出生当時はもちろん現在においても最も根本的、かつ、確実な最善の予防法であるとされている。従つて、交換輸血以外の薬物療法、光線療法施行中といえどもビ値の変動、臨床症状に注意して交換輸血の適応基準に達した場合にはすみやかに交換輸血を実施すべきであるとするのが一般である。交換輸血は、その提唱当初においては、母児間血液型不適合によつて母体に産生され、児に逆移行した不適合抗体及びそれによつて感作された児血球を除去し、抗体と反応しない血液をもつて置換することによつて児体内における抗原抗体反応の進展を防止することを目的とされていたが、現在ではその原因が溶血性疾患であると否とを問わず、すべての間接ビリルビン性重症黄疸に対して、蓄積ビリルビンを一挙に除去してしまうことにより核黄疸発生防止をはかるという目的にも利用されるに至つており、その適応が拡大されたのみならず、いまや新生児学領域における必須の治療手段とされているものである。
(一〇) 交換輸血の副作用等
しかし、交換輸血には副作用、合併症として空気または凝血による栓塞、臍静脈の穿孔、過負荷による循環障害、術中の細菌感染による骨髄炎、敗血症等があり、その適応を慎重に考慮し乱用は慎まなければならないとされるが、一般に成熟児では交換輸血による致命的副作用はほとんどないとされている。
(一一) 交換輸血の適応基準(適期)
早発黄疸は新生児溶血性疾患の場合が殆どで、放置すると核黄疸をひきおこす可能性が強く、注意を要する。早発黄疸が出現した場合、Rh不適合、ABO不適合の血液型検査を行ない速やかに原因を追求し、交換輸血に対する準備も十分に行なつておくべきであるが、また核黄疸の第一期症状のはつきりしたものも直ちに交換輸血を実施することになる。その外の場合には臨床症状とビ値を総合的に判断して適応を図ることになるが、交換輸血適応基準(適期)としてのビ値の設定については諸説があるので、以下これらについて概観してみると、以下のとおりである。
(1) 文献番号①四八八〜四八九頁
新生児成熟児の場合ビ値一五以上の場合はさらに詳細な検査が必要である。
(中略)
血液型不適合以外の過ビリルビン血症(ビ値二〇以上)における交換輸血の補助的適応基準
① 核黄疸を疑わせる神経症状
② 未熟児、糖尿病母体の児、男児
③ 低蛋白症(55g/100ml以下)、低血糖、仮死、アシドーシスなど
④ enclosed hemorrhage、例えば大きな頭血腫など
⑤ 新生児のhydrrtton、消化管の先天性奇形
⑥ 感染症、例えば敗血症など
⑦ 母児への薬剤投与、例えばサルファ剤、サリチル酸、安ナカ、ビタミンK3、K4、ノボビオシンなど
⑧ 異常赤血球、例えば球状赤血球、G・6・PD欠乏症、pyhnocyte, Heinz小体など
⑨ Saturation index(odell)
(2) 文献番号⑥八九〜九〇頁
実際問題として、最も重要な核黄疸発生に関するビ値の限界値としては二〇とする意見が最も多い。
しかし著者教室ではこの値はややあまいと考えており、――核黄疸の第一期臨床症状がみられない限りは二五として差支えないと考えている。ただしこの核黄疸の第一期臨床症状を完全にキャッチすることは非常に困難であるから、実地臨床上は二〇とするのが無難かとも考えられる。
(3) 文献番号⑥一二〜一三頁(文献番号⑪一二〜一三頁もほぼ同じ。)
特発性高ビリルビン血症の場合の交換輸血の基準は別紙(5)記載の「諸家の挙げる成熟児の交換輸血適応基準」表のように諸家の多くの説があるが、筆者もビ値が二五〜三〇になるまで無処置ですませた自験例の予後成績などから考察して、二五〜二七を適応基準と考えている。
(4) 文献番号⑦三四〜三五頁
核黄疸への直結性が最も大なのは新生児溶血性疾患による高「ビ」血症であるが、(中略)出生後しばらく経つてからの交換輸血(中略)の適応基準は(中略)ビ値が最も重要な指標となるのは当然である。このビ値に関し二〇が核黄疸発生危険閾値のマジックナンバーとされていることはすでに衆知のことと思う(中略)
ついで非溶血性の新生児高「ビ」血症に対する交換輸血であるが、この種の高「ビ」血症では核黄疸への直結性が新生児溶血性疾患に比しはるかに小であり、時間的にも出生直後に交換輸血の適応となるものはもちろん皆無であり、さらに出生後四八時間以内という早期にその適応となるものも少ない。したがつてこの種の交換輸血の適応基準としてはビ値が最も重要な指標となることはもちろんである。(中略)ビ値のみについていえば成熟児では三〇(中略)とかなり厳格にすることも可能である。しかしかかる厳格な基準はビ値以外の他の要因に異常が認められない場合に限られ、児に①仮死、②呼吸障害、③アシドーシス、④低体温、⑤低蛋白血症、⑥栄養摂取障害、⑦感染、⑧母児両者へのグルクロン酸抱合阻害薬剤の投与歴などが認められる場合には成熟児で二〇(中略)とすべきである。
(5) 文献番号⑨六七頁
生後三〜五日頃の黄疸はいわゆる生理的黄疸が多く、問題のない場合がほとんどであるが、肉眼的に黄疸が強いと判断されれば、ビ値を測定するように心がけるべきである。またプラーの第一期に相当する症状の認められる場合には必ずビ値を測定し処置を誤らないようにする。
(6) 文献番号⑩一四二〜一四三頁
交換輸血の適応となるビ値に関しては、諸家の間で多少の差異がある。近年ビ値以外の条件、すなわち核黄疸危険増強因子(アシドーシス、新生児仮死、感染症、呼吸窮迫症候群、低血糖症、低タンパク血症)が認識され、交換輸血の適応の中に取り入れられるようになつた。志村・馬場の基準(一九七三年、昭和四八年)によると、高ビリルビン血症の児に成熟児でビ値二五以上、右因子が認められるときビ値二〇以上を交換輸血適応基準としている。
都立母子保健院では次の基準をとつている。即ち特発性高ビリルビン血症の場合、出生時体重二五〇一g以上の児についてはビ値二五以上、但し核黄疸の第一期症状(筋緊張低下、嗜眠、吸啜反射減弱(哺乳力低下))があるとき、もしくは核黄疸危険増強因子(新生児溶血性疾患、仮死、アシドーシス、呼吸窮迫、低体温、低タンパク血症、低血糖症、感染症)があるときは右値より低い値で交換輸血を実施する。
(中略)
ABO不適合による新生児溶血性疾患の場合は、成熟児でビ値二〇以上で、但し、核黄疸危険増強因子、核黄疸の第一期症状があるときは右値より低い値で交換輸血を実施する。
(7) 証人馬場一雄(第一回)の証言
右証人は、成熟児に対する交換輸血適応基準について「かつて二〇ミリというところで線が引かれておりましのが、交換輸血の副作用の問題がありましてなるべく避けようということで新生児の場合は二五ミリという線が引かれて、四七年ごろちようどその段階だつたと思います。現在はまた二〇ミリになつておりますが。」と証言している。
(一二) ビ値とイ値の関係
イクテロメーター(縦三cm、横12.7cm、厚さ二mmの無色透明のプラスチック製板に一〜五の五段階の濃度変化をさせた黄色の着色がしてあり、これで鼻の先端を圧迫して皮膚色と比較してその濃度を測る。これには別紙(6)記載のような相関関係表が付記してある。)は、その示度(一〜五度)から真のビ値の存在範囲を一定の確率のもとに推定する器具であり、その使い方さえ誤まらなければ不要な採血を減らすことができるという意味で有用な器具であるが、その用法はイクテロメーターで鼻の先端を圧迫したときの皮膚の色とイクテロメーターの標準色とを比較していろいろ迷わず主観によつてさつと指数を読みとり、右相関関係表に従つてビ値を推測するのが一般である。但し、イクテロメーターの値は間接ビリルビン値とある程度の相関があるが、必ずしも絶対的なものではなく、あくまでもスクリーニングの域を出ず、最終決定はビ値測定によるべきである。そして、ビ値測定の時期に関しては、イ値三以上のときとする説(文献番号③一三九頁)、イ値3.5または4以上とする説(文献番号⑫九六頁)、四以上とする説(文献番号⑤八九頁、同⑥七頁、同⑪七頁)、4または4.5以上とする説(文献番号⑦三二頁)があるが、交換輸血適応基準のビ値を二〇以上とする説によると、イ値4ではビ値が最高21.8になつている可能性もあるのでイ値3.5以上のときにビ値測定を実施すべきことになり、交換輸血適応基準のビ値を二五以上とする説によるとイ値四以上のときにビ値測定を実施することで足りることになる。
三原告絵美の出生前後の状況
1 昭和四七年一一月六日以前
甲第九号証の一ないし四、原告美智子(第一回)、同利信各本人尋問の結果によれば、原告美智子(昭和二一年一二月二六日生)と同利信は、昭和四七年二月一九日(以下特に明示しない限り、いずれも昭和四七年を示すこととする。)に結婚後埼玉県浦和市に居住していたところ、原告美智子は四月二九日大宮日赤病院にて妊娠の初診を受け、一二月二日出産予定とされたが、同女の血液型がO型で原告利信がB型であり、出産に関する一般書等により母児間のABO式血液型不適合の存在を知つていたので、右病院の担当医師に相談したが、右不適合は出産後の問題だから出産までは心配する必要はない旨説明されたこと、その後右病院では七月二一日から一一月六日まで合計九回の診察を受けたが、その間浮腫は(−)、血圧も概ね一定し、蛋白尿は(−)か(±)、糖は(−)であつたり()であつたりしたが特に異常所見とはされず、妊娠経過に特段の異常はなかつたことが認められ、これに反する証拠はない。
2 昭和四七年一一月一三日以降一二月五日まで(被告医院における診療経過等)
(一) 乙第一号証(カルテ)の記載
一一月一三日から始まる原告美智子を受診者とするカルテ(乙第一号証、その翻訳が乙第二号証である。)には、被告が原告美智子及び同絵美を診療した経過が概ね別紙(2)臨床経過書のとおり記載してある。
(二) 原告絵美出生(一一月二八日)前後の状況
当事者間に争いない事実に、<証拠>を総合すれば、以下の事実が認められ、これに反する証拠はない。
(1) 一一月一三日以降
一一月一三日原告美智子は郷里で出産のため長崎県北松浦郡福島町の実家へ帰る途中、かねて入院予約してあつた被告医院に立ち寄り、被告の診察を受けたところ、血圧は最大血圧一一六mmHg、最小血圧八〇mmHg、浮腫()尿糖()、児心音は正常、妊娠一〇か月、前糖尿病症、軟産道強靱、妊娠中毒症と診断されたが、その際被告に対しABO式血液型不適合についての心配を訴えたところ、被告は心配する必要はない旨答えた。被告は右初診時に軟産道強靱と認めたので子宮頸管剤エストリール内服薬を五日分投与し、また尿糖が著明に出ていると認めたので糖尿病の疑いを持ち、伊万里市内の岩崎明医師(内科)の検査を受けるよう指示し、原告美智子は同月一五日に坂口食による糖負荷試験を受けたところ、血糖値(単位はmg/dl)は食前八五、食後三〇分九四、同一時間後一〇五、同一時間三〇分後一二〇、同二時間後九九、同三時間後九〇で、尿糖定性は全て(−)であつたので、右岩崎医師は被告に対し糖尿病は否定してよい旨報告した。
(2) 一一月二〇日以降
同月二〇日尿糖は()であつたが、下肢の浮腫は(+)に軽快し、子宮口開大は二指程度であつたので、被告は、原告美智子に対しフルゾロン(利尿剤)二五mg、ダイサジン(ビタミンB1)内服薬を投与し、エストリールデホー(子宮頸管軟化剤)の筋肉注射(以下(筋注」という。)を行い、同月二七日に入院するよう指示した。
(3) 一一月二七、二八日
被告は原告美智子に尿糖が出ていたので予定日(一二月二日)を四日くり上げて一一月二八日を出産日とすることとし、同月二七日、原告美智子は被告医院に入院し、診察を受けた際、子宮口開大は二指で硬かつたので、被告は、メトロイリーゼ(風船ブジー)をそう入し、感染予防のためシレラール(抗生剤)を投与したところ、同日午後四時三〇分に陣痛が始まり、翌二八日子宮口三指開大となつたものの、陣痛が微弱であつたため、陣痛促進剤アトニンO等混合液の点滴を行うとともに、児頭の下降がやや遅かつたので卵膜穿刺により人工破水(破膜を行ない、その後吸引分娩を行つたが、児の首には臍帯が巻きついていたので、臍帯を切断し同月午後六時四五分に胎児即ち原告絵美の分娩を了したこと、原告絵美は女で、体重二九〇〇gの成熟児(一般に生下時体重が二五〇〇gを超え、四〇〇〇gまでの新生児をいう。)であつたが四肢にチアノーゼがあり、泣く力も多少弱かつたため、被告は生後一分時でアプガースコアー八点と採点し、二〇%ブドー糖一〇cc及びデキサシエロソンの静脈注射(以下「静注」という)を行つたところ、二分後にはアプガースコアー一〇点に回復したこと、その後、被告は、尿糖の出ている妊婦から出生する児の場合生後一日以内に呼吸不全を起して死亡することがあることから、原告絵美が万が一呼吸不全を起こすことのないよう予防的に保育器に収容し、酸素二lを約一時間投与した。
(三) 原告絵美出生後の経過(一一月二九日以降一二月五日まで)
<証拠>を総合すると、次の事実が認められることになる(但し、後記(6)殊に、その中の原告絵美の採血と佐世保総合へのビ値測定依頼及びその結果に関する部分は一二月四日及び五日に関する乙第一号証の記載部分及び証人林京子、同中島弘正の各証言並びに被告本人尋問(第一、二回)の結果に信用性があるという前提である。この点については後記四3(五)及び4で詳論する。)。
(1) 一一月二九日(生後一日)
(乙第三三号証によれば、出生当日を生後零日もしくは日齢零とし、出生翌日を生後一日、日齢一日、翌々日を生後二日、日齢二という要領で呼称するのが一般であると認められる。以下の記述は右要領による。)
原告絵美の体重は二八〇〇gと前日より一〇〇g減少したが、一般状態は良好で、昼頃には原告絵美は保育器から出され、母子同室となつた。
(2) 一一月三〇日(生後二日)
原告絵美の体重は前日同様二八〇〇gと変化なかつたが、沐浴時(午前九時頃行われる。以下同じ。)に黄疸(±)(被告の記載方法によれば「黄疸が出てきたかな、はつきりしない」という程度の状態を示す。)が認められ、イクテロメーターで測定したところ、イ値は二であつた。原告美智子はかねてよりABO式血液型不適合による核黄疸の可能性を心配していたので、被告にその旨訴えたが、被告は「心配ない。」と答えた。
(3) 一二月一日(生後三日)
原告絵美の体重は二八〇〇g、沐浴時に黄疸(±)(被告の記載方法によると(+)より強く()よりも弱いものを示す。)、イ値三で、前日に比べて黄疸が強くなつていたので、モロー反射及びペレー反射を調べたところ、いずれも(+)(正常)であり、哺乳量異常もなく、他に特段の異常はなかつた。この日も原告美智子は悪性の黄疸ではないかと訴えたが、被告は「新生児黄疸というものがあり、別段心配いらない。明日注射でもうとう。」と答えた。
(4) 一二月二日(生後四日)
原告絵美の症状は前日同様、体重二八〇〇g、イ値三、モロー反射(+)、ペレー反射(+)、哺乳量に異常なく、他に異常症状も認められなかつたが、被告は黄疸予防のためフェノバール0.2ccを筋注し、また、同じく黄疸予防の観点から、通常勧めているように、原告美智子に対しても、原告絵美を日光にあてたり、螢光灯にあて、母乳をやめるよう言つたので、原告美智子は右各指示に従い、母乳をミルクにきりかえ、昼は日光にあて、夜は原告絵美のベットを螢光灯の下に持つて行つた。(原告絵美を日光にあてたり、夜螢光灯にあてることは一二月四日まで続けた。)
(5) 一二月三日(生後五日)
原告絵美の体重は二八〇〇g、黄疸(−)、イ値三、モロー反射(+)、ペレー反射(+)、哺乳量も少なくはなく、他に特段の異常はなかつたが、黄疸予防のためフェノバール0.2cc、アクサージェット一〇単位を筋注した。
(6) 一二月四日(生後六日)
原告絵美の体重は二八五〇gになり、黄疸()、イ値四と黄疸が強くなつたが、モロー反射(+)、ペレー反射(+)、筋強剛、後弓反張、項部強直はいずれも(−)(正常)であつた。被告は前日同様フェノバール0.2cc、アクサージェット一〇単位を筋注するとともに、イ値が四になつたため、原告絵美の血液を採取し、これを被告の妻林京子が佐世保総合検査科まで持参し、ビ値の測定を依頼した。夕方、同病院の中島弘正検査技師より右検査結果がビ値二二であつた旨の電話連絡があり、被告は右結果をふまえて、同夜原告絵美の診察を行なつたところ、哺乳量は一回ほぼ三時間おきに八〇cc飲むということ、モロー反射(+)、ペレー反射(+)、筋強剛(−)、後弓反張(−)、項部強直(−)といずれも正常で、他に異常症状を認めなかつたので、ビ値が高いという意味で高ビリルビン血症と診断し、経過を観察することにした。
(7) 一二月五日(生後七日)
午前の診察時、原告絵美の症状はモロー反射(+)、ペレー反射(+)、筋強剛(−)、後弓反張(−)、項部強直(−)とそれぞれ正常で、発熱もなかつたが、モロー反射検査時に被告は瞬間的に落陽現象(これについては前記二2(七)参照)を疑わせる目の動きを感じ、また看護婦より「哺乳力が弱い」との報告を受けていたので、核黄疸の第一期症状を疑い、原告美智子に佐世保総合で交換輸血をするよう説得し、原告絵美を右病院に転院させた。なお、血液型は原告美智子がO型、原告絵美がB型であつた。
3 昭和四七年一二月五日以降一二月一六日まで(佐世保総合における診療経過等)
<証拠>によると、原告絵美は一二月五日正午に佐世保総合に入院したが、入院時の所見は、体重二八一〇g、体温35.8度、哺乳力は良好、啼泣は活発にあり、中下誠郎医師の診断を受けたところ、原告絵美はやや不元気で、黄疸がかなり強く、眼瞼結膜及び眼球結膜に黄疸が認められたが、瞳孔には異状はなく、項部強直及び後弓反張が(±)(「疑わしい」を意味する。)という状態で、落陽現象は認められず、四肢の強剛もなかつたこと、しかし、ビ値は22.4であり、また被告から哺乳力が弱くなつたという紹介を受けていたことも併せ考慮し、右中下医師は原告絵美に核黄疸の第一期症状を疑い、同日午後四時四三分から同七時二五分にかけて同原告に交換輸血(六〇〇cc)を実施したが、術中異常は認められなかつたこと、その後も黄疸は著明で、光線療法も実施されたこと、原告絵美は哺乳力がすぐれなかつたが、啼泣は活発にあり、翌六日から哺乳力も比較的良好となつたこと、しかし翌七日より軽度の四肢強剛が認められ、九日からは落陽現象が認められるようになり、一三日は後弓反張(+)となり、一二月一六日に右病院を退院したが、退院時の診断では、核黄疸による脳性麻痺の可能性が大であつたことが認められ、これに反する証拠はない。
四被告の帰責事由の有無
1 はじめに(争点は何か)
原告絵美に核黄疸起因のアテトーゼ型脳性麻痺が残つていること、核黄疸の治療法として交換輸血が最も根本的、かつ、確実な治療法であること、原告絵美に黄疸が現われたのを原告美智子及び被告が最初に現認したのが一一月三〇日午前九時頃であつたことはいずれも当事者間に争いがない。そして、交換輸血の適期については、早発黄疸が出現したもの及び核黄疸の第一期症状がはつきりしたものは即時に、その外の場合には臨床症状とビ値を総合的に判断して、交換輸血が必要かどうかを迅速、かつ、慎重に検討すべきものであることは前記二2(八)ないし(二)に認定したとおりである。佐世保総合では原告絵美を受け入れ後速やかに同原告の臨床症状の診察及びビ値の測定等を経て交換輸血を施していること、以後の処置に格別の問題点も見受けられないことはいずれも前記三3に認定のとおりであるから、同原告が右後遺症を残すに至つた原因は、結果的には被告医院において同原告の交換輸血の適期を失したということにあると推認するのが相当である。そこで、問題とされるべき争点は、右適期を失したことにつき、被告に帰責事由があるかどうかということに帰する。
2 双方の主張の骨子
(一) 原告らの主張
右争点に関する原告らの主張の骨子は以下のとおりである。
(1) 一一月三〇日の早発黄疸の看過
生後三六時間以内の黄疸は早発黄疸であり、新生児溶血性疾患を疑い、交換輸血の必要の有無を検討すべきところ、原告絵美には出生後三八時間一五分後にイ値二の黄疸が現れていたのであるから、被告は同原告の黄疸が三六時間以内に発現していた可能性を考え、新生児溶血性疾患を疑うべきであつたのに、これを看過し、もつて交換輸血の適期を失したこと。
(2) 一二月一日のビ値測定の懈怠
同日午前九時には、原告絵美のイ値が三になつていたのであるから、この時点でビ値測定をなし、交換輸血の適期を失しないよう注意すべき義務があるのに、これを怠り、被告はビ値測定を怠り、もつて交換輸血の適期を失したこと。
(3) ひき続く一二月五日までのビ値測定の懈怠
被告は原告絵美の黄疸に関する綿密な診察を怠り、単なる生理的黄疸と速断し、ついにビ値を測定することなく、一二月五日午前になつて初めて同原告の血液検査をしようとした際、同原告の臨床症状に驚き、核黄疸を疑い、佐世保総合への転院措置をとつたにすぎず、もつて交換輸血の適期を失したこと。
(4) 一二月四日の交換輸血検討の懈怠(仮定論)
仮に一二月四日夕方に、原告絵美のビ値が二二と判明したという被告の主張が真実だとすれば、被告は直ちに同原告の交換輸血の要否について検討すべき義務があつたのに、被告はこれを懈怠し、もつて交換輸血の適期を失したこと。
(5) 核黄疸危険増強因子の看過
原告絵美には八個の核黄疸危険増強因子が存していたのであり、これを的確に認識していれば、右の(1)ないし(4)に述べた被告の注意義務は強まりこそすれ、弱まることはないのに、被告は右因子を看過し、もつて交換輸血の適期を失したこと。
(二) 被告の反論
原告らの右主張に対する被告の反論の骨子は以下のとおりである。
(1) 一一月三〇日の黄疸は早発黄疸ではない
早発黄疸は生後二四時間以内に現れてくるというのが学説の主流である。生後三六時間以内という学説もありはするが、それでも七二時間以内に急速に増強することに特色があるところ、原告絵美に現れた黄疸は一一月三〇日(生後二日)であり、他にも核黄疸罹患を予測せしめる徴候は認められなかつたから、原告らの主張は前提事実を欠くこと。
(2) 一二月一日ビ値不測定に問題はない
同日の原告絵美の臨床症状は別紙(2)記載のとおりであり、ビ値測定を行うべきか否かの限界値がイ値四とされていた以上、同日同原告のビ値測定をしなかつた被告に、責めらるべき点はないこと。
(3) 一二月四日にビ値測定をしていること
同日までの原告絵美の臨床症状等は別紙(2)記載のとおりであり、同日の同原告の黄疸が()、イ値四と上昇し、ビ値測定の限界値となつたので、被告は同原告から血液を採取し、これのビ値測定を佐世保総合に依頼した結果、夕方ビ値二二との報告を受けたので、夜ではあつたが同原告を外来診療室で診療したものの、神経症状はじめ一般状態に変化はなかつたので、未だ交換輸血の適期にはないが、高ビリルビン血症と判断し、経過観察することにしたものであること。
(4) 一二月五日の転院措置の適切
同日午前の原告絵美の臨床症状等は別紙(2)記載のとおりであり、この時点になつて初めて同原告に核黄疸の第一期症状が疑われたので、交換輸血の必要上、佐世保総合への転院措置をとり、適切な対応をとつたこと。
(5) 核黄疸危険増強因子の不存在と無因果
右因子として原告らが主張するものは、いずれも存在しないか、もしくは存在したとしても、原告絵美の核黄疸罹患との間に因果関係は存しないものであること。
3 争点に対する判断……その一
そこで双方の対立する各争点につき、以下順次判断を加えることとする。
(一) 一一月三〇日の黄疸は早発黄疸なのか
原告絵美の黄疸が現れたのを原告美智子及び被告が共に現認したのが一一月三〇日午前九時頃(生後三八時間一五分頃)であることは当事者間に争いがなく、その時の原告絵美のイ値が二であつたことは前記認定のとおりであるから、同原告の黄疸が生後二四時間以内に現れた可能性は否定されるであろうが、生後三六時間以内に現れていた可能性は否定しえないものといえよう。そして、早発黄疸を生後二四時間以内の黄疸の出現とみる説に従えば、原告絵美の右黄疸をもつて早発黄疸とみるのは失当というべきであるが、生後三六時間以内の黄疸の出現をもつて早発黄疸とみる説(これらの説については前記二2(五)(3)・(8)・(9)参照、但し、三六時間以内説をとつている前記掲示の文献がいずれも昭和五〇年以降発行のもので、原告絵美出生当時(昭和四七年)より後のものであることに注意のこと)に従えば、同原告の右黄疸をもつて早発黄疸とみる見方も否定しえないといつてよい。殊に前記認定のように早発黄疸が脳性麻痺を惹起する核黄疸をひきおこす可能性が強く、生理的黄疸の発生が生後三日(一番早いと、生後四八時間経過後ということになる。)頃であるといわれている(前記二2(六)参照、「育児の百科」松田道雄著、岩波書店一九六七年(昭和四二年)発行六七頁によれば、「ふつうの赤ちやんの黄疸は生後三、四日であらわれ、一週間ぐらいで消えてしまうといわれる」との記載がある。)ことを前提にすれば、早発黄疸の発現を生後二四時間以内とする説に従う限り、生後二四時間経過後四八時間未満に発現した黄疸は、早発黄疸と生理的黄疸の中間に位置することになり、いずれかの黄疸(従つて、早発黄疸という可能性を否定し切れない。)のもしくは両方の性質を併有するであろうことを推認することも強ち不可能ではないこと、その上で、脳性麻痺の与える心身障害の重大性に思いを致すと、出生直後の乳児の保育に携わる産婦人科医や小児科医は、安全を考慮して、より慎重な基準を選択するべきではないだろうかとの感を禁じ得ない。しかし、有力な臨床医家が二四時間説をとつていること前記二2(五)(1)・(4)〜(7)認定のとおりであり、かつ、鑑定人馬場一雄の鑑定の結果によれば、原告絵美の一一月三〇日の黄疸は早発黄疸とは認められないというのであるから、原告絵美の一一月三〇日午前九時頃の黄疸をもつて早発黄疸と認めず、単なる生理的黄疸との理解のもとにビ値測定の必要性なしとした被告の判断に責任を負わせるというのは当を得たものとは解し難い。(尤も、原告絵美に核黄疸危険増強因子が存したとすれば、局面が変つてくる余地もあるので、この点については後記(四)及び5で一括して述べる。)
(二) 一二月一日のビ値不測定に問題はないか
当日の原告絵美の臨床症状等は前記三2(三)(3)に認定のとおりである。ところで、核黄疸の第一期症状が非特異的であり、核黄疸による後遺症予防のためには交換輸血が根本、かつ、最善であつて、その適期判定にあたつてはビ値測定結果が極めて重要なこと、イ値ビ値には別紙(6)記載のような相関関係があるが、イクテロメーターの示度は見る者の主観によることいずれも前記認定のとおりであるが、イクテロメーターの検証の結果によれば、イ値の見誤りなきを期し難いと思われること(証人馬場一雄(第一回)も0.5程度の見誤りは起こりうる旨証言している。)、仮に見誤りの点を別にしても、イ値三、もしくは3.5をもつてビ値測定の要否を判断する限界値とする説があることも前記二2(三)認定のとおりであり、これらの事実に、原告絵美の初発黄疸が早発黄疸の定義にきれいに合致していないとはいえ、早発黄疸に当るとの見方をも否定しきれないこと右(一)に述べたとおりであることをも併せ考えれば、一二月一日にはイ値が三を示したというのであるから、この時点で安全を期し、被告としてはビ値を測定する注意義務があつたのではないか、との疑問を払拭し切れない。(これを法的にどう評価すべきかは次の(三)で述べる。但し、イ値が三以上とする説(文献番号③)が昭和五二年発行の、三・五または四以上とする説(同⑫)が昭和五六年発行の文献であることは想起されてよい。原告絵美出生(昭和四七年)以前であることがはつきりしているイ値とビ値に関する文献は、文献番号⑤のみであり、それによるとイ値四説が採用されている(八九頁)のである。)
(三) 一二月二、三日のビ値不測定に問題はないか
一二月二、三日の原告絵美の臨床症状等は前記三2(三)(4)及び(5)に認定のとおりである。この両日に至つても尚被告がビ値を測定していないことについての疑問は右(二)で述べた以上に強まりこそすれ、弱まることはない。
尤も一二月一日以降も被告は毎朝九時頃に行う原告絵美の沐浴時に、黄疸症状の程度を目視し、イクテロメーターでその示度を読みとつた結果が、一二月一日黄疸・イ値三、一二月二日黄疸・イ値三、一二月三日黄疸・イ値三というようにほぼ同一状態で推移していることと、イ値が四以上になつたときビ値の測定をすれば足りるとの臨床医家の説があること等右の(二)で述べたことや、鑑定人馬場一雄も鑑定の結果で、一二月三日まで交換輸血の適応があつたとは考え難いと判断していること等を併せ考慮すれば、一二月三日までに被告がビ値の測定をしなかつたとしても、それは一般開業医の有する裁量の範囲内の問題にすぎず、当不当の問題が生じる余地はあるとしても、違法の問題が生じる余地はないということも出来る。
(四) 核黄疸危険増強因子について
ところで、前記二2(一一)(1)・(4)及び(6)認定の事実によれば、原告絵美に核黄疸危険増強因子が存したとすれば、右の(一)ないし(三)に述べた結論に消長を来たす可能性がある。即ち、右因子の存在が交換輸血の適応基準(適期)に影響を及ぼし、通常設定されている基準値より更に低くみるべきであるということになるが故である。証人馬場一雄(第一回)の証言によつても、昭和四七年当時成熟児についてビ値二五が基準値であつたが、核黄疸危険増強因子があればビ値二〇が交換輸血を実施すべきかどうかの限界値であつたということになるのであるから、本件においても原告主張のような核黄疸危険増強因子が存在していたとすれば、イクテロメーターの示度の見誤りをも考慮し、原告絵美のイ値が三の段階、即ち一二月一日以降三日までの間にビ値測定をやつてみるべきではなかつたか、との問題が生じてくるからである。
そこで、この核黄疸危険増強因子の有無につき原告の主張によつて次に検討を加える。
(1) 母体の糖尿病
一一月一三日、被告は原告美智子に尿糖が著明に出ていると認めたので糖尿病の疑いを持ち、内科医の検査を受けるよう指示し、原告美智子は糖負荷試験を受けたところ、血糖値(単位はmg/dl)は食前八五、食後三〇分九四、同一時間後一〇五、同一時間三〇分後一二〇、同二時間後九九、同三時間後九〇と、尿糖定性は全て(一)であつたので、糖尿病は否定してよいとの結果を得たことは前記三2(二)(1)認定のとおりであり、<証拠>、を総合すると血糖値が一四五mg/dl以下であれば概ね正常であるとされており、また妊婦には腎性糖尿(血糖は正常であるのに尿糖が出る生理的なもの)が出やすく、血糖値の上昇が認められないかぎり妊娠には全く影響がないことが認められるから、結局原告美智子が糖尿病に罹患していたことは認め難く、他にこれを認めるに足りる確たる証拠はない。
(2) 母体の後期妊娠中毒
被告は、カルテ(乙第一号証)に原告美智子が妊娠中毒症である旨記載しているところ、<証拠>を総合すると、後期妊娠中毒症は浮腫(むくみ)・高血圧、蛋白尿の三症状を主症状とするところ、原告美智子には下肢の浮腫()が認められたので、被告は妊娠中毒症と診断したことが認められるが、前記三1認定のとおり、大宮日赤病院で最後に検診を受けた一一月六日には浮腫は認められておらず、一一月二〇日には浮腫(+)に軽快しており、原告美智子は一一月一三日に埼玉県浦和市から佐賀県伊万里市まで交通機関を利用して移動しているところからすると、原告美智子の下肢に疲労がたまつていたであろうことも推認でき、原告美智子も、本人尋問(第一回)において、「飛行機に乗つて、車にも乗りましたので何か手足のむくみはありました」と供述しているから、右浮腫は下肢の疲労によるものとの推認もできなくはなく、その後軽快していることからして、少なくとも病的なものとは推認し難いところ、他に原告美智子が後期妊娠中毒に罹患していたと認めるに足りる証拠はない。
(3) 吸引分娩、頭血腫
原告絵美の分娩が吸引分娩によつて行なわれたことは前記三2(二)(3)認定のとおりであるところ、証人馬場一雄の証言(第二回)によれば、吸引分娩は正しく使われれば誘導鉗子と同じで自然に生まれるのと少しも変りはなく、吸引分娩のために頭血腫ができるとそれが原因となつて黄疸が強くなりやすいことが認められるのであるが、被告は本人尋問(第二回)において、吸引分娩は異常なく行われ、児に頭血腫もなかつた旨供述しており、被告作成のカルテにも頭血腫についての記載はない。そして、乙第二七号証によれば、頭血腫が自然吸収されるには生後一〜三か月を要することが認められるところ、佐世保総合に入院中のカルテ(甲第五号証の一ないし一〇)にも頭血腫についての記載がないことが認められ、これらの事情を総合すると、原告絵美に頭血腫が生じていたとは認め難いところ、他にこれを認めるに足りる証拠はない。
(4) 呼吸障害・仮死
原告絵美は、四肢にチアノーゼがあり、泣く力も多少弱く、生後一分時のアプガースコアは八点と採点されたが、二分後には一〇点に回復したこと及び呼吸不全の予防のために保育器に収容されたことは前記三2(二)(3)認定のとおりであるが、<証拠>によれば、新生児仮死とは初発呼吸開発の遅延とされ、出生直後の新生児の心拍数はあるが呼吸の認められない状態をいい、仮死の程度を判定するのに別紙(7)記載のアプガースコア表が用いられ、この表によつて採点し、アプガースコアが一〇点であれば最高の状態を示し、七点以上のものは正常、六〜三点のものは第一度仮死(軽度仮死)、二〜〇点のものは第二度仮死(重症仮死)と判断されるが、出生直後の新生児の大部分にはいわば生理的に四肢末端のチアノーゼ(末梢性チアノーゼ)が見られるため、アプガースコアは九点と採点されるのがほとんどであることが認められ、原告絵美の生後一分時のアプガースコア八点は正常域にあり、二分後には一〇点に回復していること等から判断すれば、被告本人尋問の結果(第一回)中の、原告絵美が仮死状態で生まれてきたとの供述部分をとらえて、原告絵美に病的な意味での呼吸障害及び仮死状態があつたとは認めるのは困難であり、他にこれを肯認せしむるに足りる証拠はない。
(5) 早期破水
出産時に産道を開大するのに役立つ胎胞が極度に緊張し、ついには内圧に耐えられなくなつて破裂し、胎胞内にあつた二〇〜三〇mlの前羊水を流出することを破水というが、破水は外子宮口の全開大後におこるのが正常とされており、外子宮口開大前におこる早期破水は異常であるけれども、前記三2(三)(3)認定のとおり、被告は児頭の下降がやや遅かつたので卵膜穿刺により人工破水を行なつたのであつて、これをもつて原告美智子に早期破水があつたということはできず、他に早期破水を認めるに足りる証拠はない。
(6) 低体温
原告らは保育器が低体温の矯正のためにも使われるところから、原告絵美は低体温であつたことを推認すべきであると主張するけれども、被告が保育器に同原告を収容した目的は前記三2(三)(3)認定のとおりであつて、またそれに引続く(三)に認定の被告医院における臨床経過をみても同原告の低体温を推認することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠は存しない。
(7) 一応のまとめ
以上(1)ないし(6)に述べてきたところによると、原告絵美側に厳密な意味での核黄疸危険増強因子が存していたと認めるに足りる証拠は存しないといえる。
しかしながら、乙第一号証中原告美智子の傷病名欄に妊娠中毒症との記載があること、被告本人(第一回)は、原告美智子には尿糖が多くでていたこと、原告絵美の出生直後の状態が仮死であつた旨供述していること、証人馬場一雄(第二回)の証言によれば、浮腫だけでもつて妊娠中毒症に含める教科書もないわけではなく、その考え方に従えば、原告美智子の原告絵美出産前の状態を妊娠中毒症と診ても間違いとは言い難く、アプガースコアが仮死の判定のすべてではなく、アプカースコアがそんなに低くはなくても一応仮死という表現をとりうることが間違いではないといいうると認められることを併せ考慮すれば、原告絵美側には原告ら主張の核黄疸危険増強因子のうち、晩期妊娠中毒症、原告絵美の仮死の二個を全く否定し去ることもいかがかと思われる。しかのみならず、前記3(一)で述べたように、原告絵美の黄疸につき早発黄疸が否定し切れないという事情をも併せ考えれば、安全を考慮して、イ値が三の段階で、即ち一二月一日から三日までの段階で、ビ値測定の措置に出るべきであつたのではないか、との感は益々強まつてくる。但し、鑑定人馬場一雄の鑑定の結果及び証人馬場一雄(第一回)の証言によると、昭和五四年段階での一般医療水準によれば、原告絵美の場合一二月一日のイ値三の段階でビ値測定をやるべきであるとはいえ、原告絵美出生の昭和四七年当時のそれではイ値三にとどまる限り、ビ値測定をやるべきだとも言えず、経過観察をみておくことで十分といえるというのであるから、被告の法的責任を肯定するにはなおちゆうちよを禁じ得ない。
(五) 一二月四日にビ値測定はなされているか(提起された問題点)
同日の原告絵美の臨床症状等は前記三2(三)(6)に認定のとおりである。これによると、被告は同日午前九時頃の原告絵美の黄疸が()となり、イ値が四を示し、前日までより一段と強くなつたので、ビ値を測定すべきであると判断し、同原告の足蹠より採血し、これのビ値測定を佐世保総合に依頼したところ、同日夕方、被告医院宛同原告のビ値二二との連絡があつたというのである。確かに乙第一号証の同日欄の記載によれば、佐世保総合ヘビ値測定依頼をしたところ、夕方ビ値二二との連絡があつた旨の記載がある。この記載が真実に合致してはじめて、冒頭の認定も成立つものであるところ、原告らはこれらが事実に反するものであつて、同日欄及び五日の記載部分が他に比べ詳細で説明的に過ぎ、またその体裁からして追記された部分が見受けられること等を理由に、右両日の記載部分は後日全面的に書き改められたうえ、更に加筆された疑いがある旨主張している(事実摘示欄第二の一2(二)(8)及び(10)参照)。
この問題は非常に重要な問題を内包しているので、別に詳論することとする。
4 争点に対する判断……その二(乙第一号証(カルテ)の一二月四日のビ値測定に関する記載部分の信用性)
(一) 問題の重大性
被告の主張によつても一二月四日午前の原告絵美の黄疸の強さは前日までより一層強まり目視で()、イ値で四になつたから、ビ値測定の時期に至つたというのであるから、もしビ値測定を怠つたとすればその過失が肯定されることになり、このことは、前記二2及び三2・3に認定した事実によつても明白である。この点は証人馬場一雄(第一回)も証言で明言するところである。然るに、原告らは原告絵美は一二月五日佐世保総合に転院するまで原告絵美の血液を採取されたことはなく、一二月四日のカルテにビ値測定の結果が記載されているのは後日書き加えられたもので、真実に反する旨抗争するので事は重大である。よつて、この点につき以下検討する。
(二) 問題点の指摘
確かに乙第一号証を精査すれば、以下のような問題点が指摘できる。即ち
(1) 一二月四日及び五日欄の記載量が、三日以前のそれに比し、非常に多く、しかも説明調になつているのは何故であろうか。(以下「①の問題点」という。)
(2) 一二月五日記載分の「家族に市民病院行きを説明(その根拠にS.S.SignをSPし)、ゆくのをやつと承知した。最初に行くのを希望しなかつた。」という部分は一見して文字が他より小さく、後で追記されたのではないかと思われるが、どうしてだろうか。(以下「②の問題点」という。)
(3) 一二月四日記載分によると「佐世保市立総合病院へ血清「ビ」測定依頼」とあり、証人林京子、同中島弘正及び被告本人(第一回)は、いずれも右記載に沿う供述をしているが、同日ビ値の測定をしたかどうかが、本件訴訟の帰趨を決するといえるところ、林京子は被告の妻であるから、いわば第三者的地位にある中島弘正の証言の信用性が先ず吟味される必要があるところ、証人中島弘正の証言の要旨は以下のとおりである。即ち同人は「昭和四二年四月以降佐世保総合の臨床検査技師として、ビ値測定その他の血液分析に従事している。一般開業医から依頼されるビ値測定は右病院の婦人科もしくは小児科を経由し、検体の血液が入つた容器に伝票が付されて検査技師のところにくるのであるが、被告医院の場合だけ、(傍点裁判所、以下同じ。)は、右と異なり、被告がかつて右病院の産婦人科医長兼臨床検査科医長をしていた関係からか、被告の妻(林京子)が直接、検体を検査技師の所に伝票もないまま持参し、測定結果は検査技師長の命令により電話を使つてのみ被告医院宛連絡していた。原告絵美のビ値測定について、その検体を誰が(いつものとおり被告の妻が)持参したか否か、それを自分が受けとつたか否かは記憶にない。原告絵美のビ値の結果は自分が電話で被告に連絡した。」というのであるが、この供述が果して信用できるのであろうか。(以下「③の問題点」という。)
(4) 甲第五号証の一ないし一〇(佐世保総合の原告絵美に関するカルテ)を精査しても、原告絵美が右病院に搬入される前日(一二月四日)の同原告のビ値に関する記載が何もないこと、右病院で同原告の交換輸血を担当した医師中下誠郎もカルテ(甲第五号証の一ないし一〇)に何も記載がないし、被告医院からの紹介状にも同原告の前日のビ値についての記載はなかつたと思う旨証言しているが、これらの証拠を併せ考慮しても一二月四日のビ値測定を肯認しうるのだろうか。(以下「④の問題点」という。)
(三) 問題点は氷解するか
(1) ①の問題点について
これは原告絵美の症状が一二月四日に至り、黄疸に関して三日以前と比較して変化の兆が見えた(増強した)こと(黄疸がからへ、イ値が三から四へ)、従つてビ値測定の必要を考えたこと、その結果ビ値二二との報告を夕方受取つたので、核黄疸第一期の臨床症状が発現していないかどうか診察の要を認め、夜ではあつたが原告絵美を被告が外来診察室で診察したに過ぎず、その結果をありのままカルテに記入しただけであり、更に一二月五日は前日(四日)の経緯をふまえて、第一期症状の有無を再点検しているうちに、哺乳力が弱い(第一期症状の一つ)との報告を受け、モロー検査中に瞬間的に落陽現象らしきものを認めたことから、原告絵美が核黄疸に罹患している疑いをもち、交換輸血の設備の整つている佐世保総合への転院を説明したが、原告美智子が希望しなかつたので、被告が説得し、やつと承知してもらつた事実があつたので、ありのままをカルテ上に記載したにすぎないとの説明も十分に可能であり(被告提出の最終準備書面八七ないし九四頁もほぼ同様の主張をしている。)、被告本人(第一回)もほぼ同旨の供述をしている。
しかしながら、原告美智子本人(第二回)は、原告絵美と同室になつて(一一月二九日)以来原告絵美の退院日(一二月五日)まで、原告絵美が午前中の沐浴のとき以外病室外に連れ出されたことはないこと、一二月五日午前に沐浴後明六日が退院予定日であるが、原告絵美の黄疸が強くてひかないから退院前に血液検査をしようといつて連れ出されたのが唯一の例外であることを供述しており(後者については原告美智子の実母で、同原告の被告医院への入院(一一月二七日)以来始終付添つていた証人前田スヤも同旨の供述をしている。)、関係当事者の供述は真向から対立すること、また、交換輸血のための佐世保総合への転院の件についても、原告美智子が核黄疸についてある意味では異常とも(神経質にも、といつた表現が妥当か)いえる程医師に対して質問をしていたことは前記三1並びに2(二)(1)及び(三)(2)・(3)に認定のとおりである。(尤も、この点につき被告本人(第一回)は、原告絵美に黄疸が出ていることに対し、血液型不適合のためではないか、との訴えは被告に何らなされていないこと、その根拠は、右のような訴えは産婦人科医として大事なことであり、当然カルテに記載する筈であるのに、カルテにその旨の記載がないからである旨供述し、確かに乙第一号証中一一月三〇日以降一二月四日までは、原告絵美に関して、原告美智子から「訴えがない」「特記事項ない」旨の記載が存する。しかしながら、カルテに記載がないからなかつた筈だ、との前提には、その訴えが患者の治療に当つて重要な意味をもつと当該医師が判断していることがなければならず、神経質な(もしくはしつこい)患者の主訴を、確たる根拠のないものと当該医師が判断したときにカルテに記載することはないであろうことは容易に推察できるところ、被告が一二月四日までは原告絵美の黄疸を原告美智子の主訴程には重視していなかつたこと即ち単なる生理的黄疸と判断していたことは、被告本人(第一回)の供述から優に認められるのである。とすれば、仮にカルテに記載してないことを根拠に、原告美智子から黄疸についての訴えがなされていないと断言する供述の信用性には疑問なしとしない。更に勘ぐれば、何も主訴がなく、客観的にも特記事項がないのに、殊更に「訴えがない(Klage F, Klage Frei)」とか「特記事項がない(Keine Neues)」と記載することも作為的すぎる気がしないでもない。これに作為性がないとすれば、原告美智子の主訴がひどかつたからこそ、それを医学的に無意味と解した被告の反応がカルテの右記載となつたという理解も十分に成り立ちうると思われる。)
しかも一二月二日から被告の勧告に応じ黄疸予防に効果があると信じた原告美智子は原告絵美を終日螢光灯にあて、母乳の授乳を中止していること前記三2(三)(4)に認定のとおりである(証人馬場一雄(第一回)の証言によれば、新生児を螢光灯にあてたとしても、光線療法としての黄疸予防の効果はまず期待できないことが認められる。こういうことを知らない原告美智子が被告の勧めを固く守り、一二月二日以降原告絵美を昼は太陽に、夜は病室の螢光灯にあて続けたのである。ここに原告絵美の黄疸をいたく案じた母親たる原告美智子の心情をみとることができる。)が、これらの諸事実を総合すると、一二月五日に被告から原告絵美の交換輸血のための佐世保総合への転院の話を聞き、原告美智子が最初転院を希望しなかつたということは不可解であり、一二月五日欄の「家族に市民病院行きを説明(その根拠に瞬間的なS、S、SignをSPし)ゆくのをやつと承知した。最初は行くのを希望しなかつた。」との記載部分の信用性には多大の疑問が残り、これを肯定するのは困難である。そして、一二月四、五日両欄の記載量が三日以前の記載量に比し格段多いことは理解できるとしても、四日欄には「外来で診るに」とか、「即ち」とか、「よつて」と、五日欄には「前日同様その他に」とか「即ち」とかの、三日以前の記載には見られない副詞、修飾語が見られることも気になるところである。
(2) ②の問題点について
これについては、被告本人(第二回)はカルテの記載どおりの順序で、右に指摘した記載部分を一二月五日欄の「Fie-ber(−)」までの記載部分(以下「甲部分」という。)と同時に記載した旨確言する。しかしながら、②の問題点で指摘した記載部分(以下「問題記載部分」という。)の字の大きさが他の部分(前後記甲・乙部分)に比べはるかに小さく、字と字の間も狭いうえに、それに引き続く「佐世保市立総合病院へ、交換輸血を行う。総「ビ」値22.4mg/dlなり。」との記載部分(以下「乙部分」という。)との間に出来た余白部分に挿入されたと解すれば十分了解可能であること、そして、乙部分が右総合病院での交換輸血の終了(この時刻は前記三3認定のとおり一二月五日午後七時二五分である。)後に記載されたであろうことは動かしようのない事実であること等を総合考慮すると、冒頭に述べた被告本人(第二回)の確言した供述部分は、とても信用することは出来ない。
(3) ③の問題点について
中島弘正証言中③の問題点について指摘した部分をみると、第一に、被告医院の場合だけ便宜をはかつたというにとどまらず、受付及び結果通知の両面で、なぜかくも杜撰とも評すべき方法がとられていたのか理解に苦しまざるをえない。検査結果は一般的には書面により依頼者宛通知されるであろうこと(急ぐ場合に電話で前もつて通知することがあるであろうことは別としても。)それら書面は依頼者作成のカルテに重要な資料(診療上は勿論のこと、後日医療紛争が生じた場合の有力な証拠資料)として添付されるであろうことを斟酌すると、中島弘正証言の右第一点の内包する問題の重要性は容易に推察しうるであろう。右のようなやり方で、検査料の請求及び支払関係の正確性が担保されうるのかも疑問としてでてくる(この点は、検査を実施した佐世保総合は勿論のこと、検査を依頼した被告に共通するものである。)。第二に、原告絵美のビ値測定の検体を誰から誰が受取つたかは記憶がないものの、その測定結果は自分が電話で被告に連絡した、というのであるが、仮に右電話連絡をしたことがあるとしても、それが核心の一二月四日夕方の出来事(被告の主張はこうなつている。)かどうかを肯認しうる客観的根拠は乙第一号証中の一二月四日欄の「夕方22.0mg/dl」との記載部分以外ない(ここで右記載部分の真実性を吟味しているのであるから、右記載部分を根拠に右の点を肯認するのは循環論法であつて当を得ないことは明らかである。)。乙第一号証中の一二月五日欄に、佐世保総合での当日の「総「ビ」値22.4mg/dlなり。」との記載部分があることを考慮すれば、中島弘正が一二月五日に電話で報告(この点について確たる証拠はないが、証人中島弘正の証言から、これを推認することも可能である。)したことがあることを利用して、被告とその妻が一二月四日にビ値測定結果の電話連絡があつた(被告本人(第一回)と証人林京子はそのように供述する。)ことにしようとすれば、それは然程困難ではないし、その疑惑を受ける余地もありうる(例えば、証人林京子は一二月四日は土曜日だつたので、佐世保総合へ早く持つて行きなさいということで原告絵美の血液を採つたのが一〇時頃と具体的な理由を付した供述をし、被告本人(第一回)も当初は五日が日曜日だつたので佐世保総合へ早く連れて行つたがいいと判断した旨理由を付した具体的な供述(この限りでは曜日関係は一致する。)しながら、続行期日での供述では五日が火曜日である旨訂正していることからも(この訂正が真実であるが。)、証人林京子と被告本人の供述の作為性の一端を垣間見ることができる。)。これらのことは証人中島弘正が、原告絵美のビ値測定結果を被告宛電話した記憶の根拠として供述している「原告らの苗字が「逆瀬川」という一見めずらしく、どう読むのか同僚に尋ねたこと、その第一字をとると「瀬川」となり、佐世保総合の真向かいにある地名となること(乙第三六号証によるとその通りであることが認められる。)、原告絵美については交換輸血のため何度もビ値の測定をしたこと」と予盾するものではない。とするならば、③の問題点で指摘した証人中島弘正の、一二月四日に中島弘正が原告絵美のビ値を測定した趣旨の供述部分の信用性は大きく揺らいでくるといわなければならない。
(4) ④の問題点について
更に重要なのは本問題点である。即ち、原告絵美にみられた一一月三〇日の黄疸が早発黄疸でない(この点は前記四3(一)参照)とするならば、核黄疸の原因としては高ビリルビン血症の可能性が残るわけであり、この早期発見のためにはプラーの分類による第一期の臨床症状とともにビ値の数値が最も重要である(前記二2(一一)参照)し、被告本人もそういうふうに理解している旨供述(第一回)するし、証人馬場一雄(第一回)も交換輸血適応関係での転院に際してビ値の連絡が最も大切である旨供述している位であるから、転院先にビ値を書面及び(もしくは、場合によつては)電話等で正確に連絡するであろうことは当然のことであろうし、もし、ビ値の連絡を受けたのであれば、転院先の医師が、書面であれば、それを転院先のカルテに添付し、そうでない(電話等の口頭連絡の場合)としたらその結果を正確に記憶し、転院先のカルテ中に記入するのが当り前のことと思われる。然るに転院先である佐世保総合のカルテ(甲第五号証の一ないし一〇)中には原告絵美の一二月四日のビ値の記載はないのである。確かに甲第五号証の一中の「初診時までの経過」欄には「紹介状がなくなつた為詳細は不明」との記載がありはするが、仮に紹介状に前日(一二月四日)のビ値が記載してあればそれは転院先の医師にとつても最大の関心事であり、かつ、医学的にも重要な事柄であると思われるので、紹介状にビ値の数値が挙つていたならば、記憶により追加記載するであろうことは容易に推認できるところである。
このことは、安全だとはいえ前記二2(一〇)認定のように交換輸血になお重大な副作用等が存すること及び乙第三号証(文献番号④)によれば、昭和四五年七月より昭和四六年六月までの佐世保総合(当時の名称は佐世保市民病院)産婦人科で行つた交換輸血濫用防止の観点から交換輸血例と非輸血例との詳細な比較検討の結果、体重二七五一g以上の新生児(原告絵美はこれに該当する。)の場合の交換輸血適用基準をビ値三〇以上、臨床所見のある時をビ値二五以上、眠りがち、哺乳力、哺乳量減少、あくびをする、元気がないときはビ値二〇以下とすべぎであるとして交換輸血の採用に慎重な態度をとつていたことが認められることからも裏づけうると思われる。
果して、証人中下誠郎は、被告からの紹介状で原告絵美の黄疸症状が強くなつたこと、一二月五日に哺乳力が弱くなつたことを知り、原告絵美の症状を診察のうえ、速やかにビ値測定の処置をとつたこと、右紹介状を紛失はしたが、記憶をたどつて原告美智子の妊娠中の尿糖陽性のこと、原告絵美の一一月二八日出生時の体重二九〇〇g、三日目より黄疸を認め、フェノバール療法をうけたが黄疸増強し、一二月五日に哺乳力が弱くなつたこと等をカルテに記載(甲第五号証の三)しており、それにビ値の記載はなかつたと思う旨証言しているのである。(被告本人(第一回)は「一一月四日のビ値を含めた臨床症状は佐世保総合の小児科医長坂井正義に被告が電話で依頼したこと、その際四日のビ値についても連絡した」旨を供述するのであるが、これは一二月五日の交換輸血後の坂井医師との電話での会話(カルテ(乙第一号証)の同日欄の記載にはそのことの記載がある。)を誤つて記憶し、それに基づいて供述したのではないかとも推測されるが、仮にそうでないとしてもビ値という簡単で、かつ、ある意味では最も重要な事柄を何故に紹介状に書いてないのか、を理解することは容易でない。)とするならば、被告が一二月四日の原告絵美のビ値を佐世保総合宛五日に連絡したのかどうか極めて疑わしくなつてくる。ひいては、四日に原告絵美のビ値測定を佐世保総合に依頼したことがあるのかさえ極めて疑わしくなつてくることを意味する。このことは、証人中島弘正の、二日続きでビ値を測定したときは前日の測定結果を医師宛報告することはない旨の証言によつて消長を来たすものとは解されない。
(5) 樹新たな問題点
更に、一二月四日に被告が原告絵美のビ値測定を依頼したというのなら、その痕跡が乙第一号証の「症状、経過等」欄以外にも残つている筈と思われるのに、証人林京子や被告本人(第一、二回)の供述からは、右痕跡らしきものを認めることはできないのである。
(四) 一応のまとめ
以上によれば、乙第一号証の一二月四日、五日欄に、気になる副詞、修飾語が幾つか見られることは別にしても、一二月五日欄の「家族に市民病院行きを説明(その根拠に瞬間的なS、S、Sign をSPし)ゆくのをやつと承知した。最初は行くのを希望しなかつた。」との記載部分を同日欄の「Fieber(−)」までと同時に記載したとの被告本人(第二回)の証言部分が信用し難いのみか、右記載部分の真実性についても多大の疑問があり、これを肯認し難いうえに、他にも右(三)(1)及び(2)で指摘したように重要な箇所で被告本人(第一、二回)の供述部分中措信し難い点があること、一二月四日に原告絵美のビ値の測定を依頼され、その結果を被告宛電話連絡した旨の証人中島弘正の証言部分も大きく揺らぎ、一二月五日佐世保総合へ被告から原告絵美の四日のビ値を連絡してあることの確たる証拠が見当たらない以上、被告本人(第一回)及びその妻である証人林京子が一二月四日に原告絵美から採血したものを佐世保総合に持参して、ビ値測定を依頼し、夕方その結果二二との値の電話連絡をうけた旨の供述があつても、他に確たる証拠のない本件では、乙第一号証中の一二月四日欄の「佐世保市立総合病院へ血清「ビ」測定依頼、夕方22.0mg/dl」との記載の真実性は大きく動揺をきたし、これを首肯することは困難といわなければならない。被告は一二月四日、五日の原告の絵美の症状と佐世保総合での初診時の症状が、黄疸発症経過の流れの中で自然であり、被告がカルテを改ざんしたにしては出来上りが拙劣であることを付加し、カルテの真実性を補強する主張をする(被告最終準備書面九四ないし九六頁)のであるが、これらをもつてしても右結論を変更すべきものとは解されない。
5 争点に対する判断……その三(一二月四日に交換輸血検討のためにとるべき処置の懈怠がなかつたか―仮定論)
仮に一二月四日にビ値の測定をし、その結果二二との結果を佐世保総合から得たことが真実であつたとして、その後にとつた被告の処置に過誤がなかつたかどうかを検討しておきたい。
本件における核黄疸危険増強因子について前記(四)(1)ないし(7)で述べたこと。証人馬場一雄(第一回)の証言により認められる、核黄疸予防のための交換輸血適応の患児の場合、時間が早いにこしたことはないことを併せ斟酌すれば、一二月四日夕方の原告絵美のビ値が二二を示したというのなら、被告には即交換輸血実施可能な病院に転院させる法的義務があつたということができそうである。鑑定人馬場一雄の鑑定結果によれば、鑑定事項四(原告絵美については、生後七日目ビ値22.4の段階で交換輸血が行われているがこれは適切か。)に関して、結論として「これは概ね適切な処置と考えられる。」としながらも、その理由で「診療録によると、一二月三日までのイ値は三以下であり、ビ値は一五以下であつたと推定される。また哺乳力減退、モロー反射減弱などの神経学的異常も気付かれていないから、交換輸血の適応があつたとは考え難い。そして一二月四日イ値が四となつたためビ値の実測を指示し、その値が二二であつたことから、直ちに交換輸血に踏み切つたことは極めて妥当な判断であつたと考えられる。」と述べ、鑑定事項一〇(被告のとつた処置の適・不適について。)に関して、結論として「概ね適切であつたと考える。」としながらも、その理由中で「原告絵美の黄疸の強さをイクテロメーターによつてではあるが反復測定し、その示度が四に上昇した時点でビ値の実測を指示し、且、その値が二二を超過していることが判明した時に、交換輸血のために転院することをすすめている。」と述べているのであるが、真実は一二月四日夕方にビ値の結果二二が判明した時点で、直ちに交換輸血に踏み切つたのでもなければ、交換輸血のために転院することをすすめているのでもなく、それらは翌五日の午前であつたこと前記三2(三)(6)・(7)に認定のとおりである。従つて、右の二点について鑑定結果の結論には事実誤認に基づく誤りが存する疑いが濃いといいうるのである。証人馬場一雄(第一回)の証言中にも右を推測させる部分(第一七九項)が存する。確かに他の部分では右結論を維持するかのような供述(第二五八、第二五九項)もありはするが、その表現は微妙であり、より正確を期したと思われる鑑定結果中に右に指摘したような事実誤認があれば、右鑑定結果中の右結論部分を採用することはできない。そして、右鑑定結果中の右理由部分からすれば、これに反する証人馬場一雄(第一回)の右供述部分は採用に由ない。
とすれば、一二月四日夕方のビ値判明後、被告が原告絵美の臨床症状を観察したとしても、直ちに交換輸血に踏み切らなかつたこと即ち、その為の転院措置をとらなかつたことには過失があると解するのが相当である。
6 小括
これまでの検討結果によれば、被告が一一月三〇日の原告絵美の初発黄痘を早発黄疸とは考えず、生理的黄疸に過ぎないと判断したこと及び翌一日から一二月三日にかけて同原告のビ値を測定する処置をとらなかつたことについて、被告に帰責事由あり、と言いうるかどうかは困難であるが、一二月四日に至つて尚、同原告のビ値を測定する処置をとつたという確たる証拠がない以上、その点についての被告の過失責任は否定しようがないし、仮に一二月四日にビ値測定をし、その結果二二との報告を受けたのであるなら、本件の特殊性から即交換輸血のために原告絵美をそれの可能な病院に転院させるべき義務があるところ、それを怠つた過失があると言わなければならない。そして、右のいずれかの過失の結果、原告絵美は交換輸血の適期を失し、もつて核黄疸の後遺症を残すに至つたのであるから、被告は原告らに対し後記六認定の損害を賠償すべき法的義務(債務不履行及び不法行為上)を負担すべきものである。
五原告絵美の現在の状態
原告絵美に脳性麻痺と診断される症状が存することは当事者間に争いがなく、前記二ないし四認定の事実に、<証拠>並びに鑑定人馬場一雄の鑑定の結果を総合すると、原告絵美は、昭和五〇年八月二八日国立埼玉病院の医師からアテトーゼ型脳性麻痺の罹患により運動機能の発達及び精神発達に障害が認められるとの診断を受け、肢体不自由児のリハビリテーション施設「すみれ学園」(埼玉県所在)に通園した後、昭和五二年四月から普通児と共に幼稚園に入園し、昭和五四年四月には小学校に入学し、普通学級で学習しているが、昭和五五年八月(小学二年生)現在、ほとんどの教科の成績は三段階評価の下位にあり、四肢の運動が不自由なため、全ての面で遅れており、読み書きは不自由で、何度か読んで聞かされた場合はどうにか読めるけれども、初めて見る文章では初めて文字を覚えるときのような捨い読みの状態であり、字もまつすぐに書くことが困難で字の大きさも一定しない状態にあり、衣類の着脱は介助を要し、和式トイレの場合手すりがなければ一人で用をたすことができず、食事もにぎりばしでかき込むといつた状態で、また歩き方も小走り様で転ぶことが多く、総じて上下肢に不随意運動が認められ、上方視麻痺及び乳歯異常があること、原告絵美にみられる右障害はアテトーゼ型脳性麻痺に起因するものであるが、程度は比較的軽症で、同人を診察した日本大学医学部教授(小児科)馬場一雄は将来軽快し、社会生括を営むことは可能であろうが、最終的にどのような障害が残るかは現時点では推測ができないと推測していること、なお、原告絵美は昭和五〇年六月二日埼玉県から、脳性麻痺による四肢体幹機能不全を障害名とし、身体障害者等級表による級別四級に該当する者として身体障害者手帳の交付を受けていることが認められ、これに反する証拠はない。
六原告らの損害
1 原告絵美の逸失利益
<中略> 五五二万円
2 原告絵美の慰藉料
<中略> 二〇〇万円
3 原告利信及び同美智子の慰藉料
<中略> 各一五〇万円
4 弁護士費用
<中略> 原告絵美が七〇万円、原告利信及び同美智子が各一五万円宛
5 まとめ
右1ないし4をまとめると、被告の不法行為に基づき、原告絵美は合計八二二万円及びこれから弁護士費用を除いた七五二万円に対する本件不法行為(被告が一二月四日に原告絵美のビ値測定もしくは転院措置を怠つたこと)後である昭和四七年一二月六日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金、原告利信及び同美智子は合計各一六五万円宛及びこれから弁護士費用を除いた各一五〇万円宛に対する右同様右同日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の各支払いを被告に請求することができることになる。<以下、省略>
(田中貞和 簑田孝行 原敏雄)
別紙(1) 計算書<省略>
別紙(2) 臨床経過書<省略>
別紙(3) 母児間ABO式血液型不適合組合せ
母
A
A
B
B
O
O
児
B
AB
A
AB
A
B
別紙(4) 文献目録
番号
書証番号
文献名
著者
出版社
発行時
①
甲六の
一~三
今日の治療指針一九七一
(四八八~四九〇頁)
大西鐘寿
(名市大講師・小児科)
医学書院
昭和四六年
②
甲七の
一~四
新編結婚と出産
(三九六~四〇一頁)
森山豊
(東芝中央病院
院長医学博士)
主婦の友社
昭和四四年
③
甲八
新生児・未熟児の取扱い
馬場一雄編著
(日本大学医学部教授)
診断と
治療社
昭和五二年
④
乙三
最近一年間における
新生児黄疽の観察
(佐世保市立市民病院
昭和四六年度業績集
八一~八五頁)
松尾宗一郎・平井健治・
徐寛容・副島研爾)
⑤
乙六
新生児重症黄疸と交換輸血
古賀康八郎
(前九州大学教授・
国立小倉病院院長)
金原出版
株式会社
昭和四三年
⑥
乙七
症状からみた新生児診療の手順
(六~七頁、一二~一三頁)
石塚祐吾
(国立東京第二病院医長)
金原出版
株式会社
⑦
乙八
新生児黄疸とその治療
(産婦人科治療三〇巻
一号三一~三九頁)
白川光一・金岡毅
(福岡大学
産婦人科学教室)
一九七五年
(昭和五〇年)
⑧
乙一一
新生児の異常症状
(産婦人科治療三一巻
五号四八三~四八六頁)
馬場一雄
(日本大学医学部
小児科学教室)
一九七五年
(昭和五〇年)
⑨
乙二三
黄疸と脳性麻痺
(周産期医学一一巻
四号六五~七二頁)
河野寿夫・内藤達男
(国立小児病院
新生児科)
東京
医学社
昭和五六年
⑩
乙三一
新生児黄疸の治療指針
(小児医学(馬場一雄編)
八巻二号、一三九~一五九頁)
村田文也
(東京都立
母子保健院院長)
医学書院
一九七五年
(昭和五〇年)
⑪
乙三三
症状からみた新生児診療の手順
(~二七頁)
石塚祐吾
(国立東京第二病院
医長)
金原出版
株式会社
⑫
乙三四
新生児黄疸
(臨床と研究五八巻
四号九二~九九頁)
赤松洋
(日本赤十字社
医療センター
新生児未熟児科)
昭和五六年
⑬
乙三五
脳性小児麻痺の病因と予防
(増補第三版)
(八四~一〇三頁、
一四八~一七一頁)
安達寿夫
(北東大学助教授)
金原出版
株式会社
別紙(5) 諸家の挙げる成熟児の交換輸血適応基準
著者
血清ビリルビン値
Sinios
(1959年)
30
Kalaud
(1963年)
20
白川
(〃)
合瀬
(1964年)
20
馬場
(〃)
山崎
(〃)
水田
(〃)
(1964年)
28?30
(1965年)
20
石川
(1965年)
25
大原
(1965年)
30
村田
(1967年)
25
安達
(〃)
松尾
(〃)
武田
(〃)
水元
(〃)
藤井
(1967年)
30
小宮
(〃)
石塚
(1969年)
25?27
単位 mg/dl
別紙(6) 相関関係表
イクテロ
メーター値
平均血清
ビリルビン値
(単位mg/dl)
平均血清ビリルビン値に
標準偏差の
2倍を加えた値(最高値)
(単位mg/dl)
2
5.55
8.7
2.5
7.57
12.11
3
10.03
14.58
3.5
12.31
17.31
4
15.73
21.8
4.5
19.06
26.8
別紙(7) アプガースコア表
心拍数
100以上
2点
100以下
1
聞えない
0
皮膚色
ばら色
2
四肢チアノーゼ
1
全身チアノーゼ・蒼白
0
筋緊張
四肢活発
2
四肢やや屈曲
1
全く弛緩
0
鼻腔カテーテル
または紙より反射
咳、くしゃみ
2
しかめ面
1
反応なし
0
呼吸状態
活発啼泣
2
努力呼吸、不整(弱々しい啼泣)
1
無呼吸
0